コロナ禍で生活が変わった人のひとり。

話はさかのぼる事昨年の4月。

コロナ禍において、緊急事態宣言が発令される中、私は千葉の某所から新宿へ通勤していました。

パートではあるものの、オフィスが移転したので片道2時間の通勤をしていたんです。

※元々30分程度で通勤できていたところ、2時間に増えた感じです。

 

朝8時半に自宅を出て11時~18時で仕事、また2時間かけて帰る…を週に3~4日続けていました。

土日は業務開始時間が早く9時~だった為、6時半に自宅を出ていましたw

今思うとめっちゃすごい生活してたと思います(*_*;

 

 でも、そんな無茶な生活も嫌いじゃなかった!

続けられたのは職場の雰囲気がよく、働きやすかったから。

人間関係も良好、仕事も自分に合っていたので辞めたくなかったんです。

上司もみんないい人だったし。

MAX100名ほどいた職場でしたが、移転に伴ってほとんどの人が辞めたけれど、

一緒に30人くらい移動しました。心強かった!

(のちにどんどん辞めていき、最終的に私を含め15人くらい残ってたかな)

 

 しかし世の中コロナコロナ…

緊急事態宣言の期間は電車も空いていたし、会社側も考慮してくれて通勤してもしなくても、時短にしても午後からの出勤でも何でもOKと言ってくれました。

最初のうちは午後からの時短で通勤していたのですが、

まさかの義姉(旦那のお姉さん)がコロナに感染したとの一報あり。

※感染経路も不明だったとか…。

離れて暮らしているので身内に感染者は居なかったけれど、ここでめっちゃ心配性を発揮したのが義理の母(旦那の母)。

片道2時間をかけて出勤して、どこでどんな風に感染するかもわからない。

ましてや新宿、人の波が少なかったとしてもとにかく不安だから、休んでいいのなら休みなさい!国からの負担金も出るし、お金の事なんてどうにでもなる。体を守りなさい!との事。

会社へ事情を話し、お休みできることになりました。

 

会社側も負担金を出してくれることになったものの、収入自体が減ってしまう。

でも緊急事態宣言が明けたら仕事に復帰したいし、短期間での仕事を探しても感染の不安もあるし、どうしたものかなー。と悩んでもいました。

 

そこで思いついたのが在宅ワーク

短期間でも、場合によってはメインの仕事とのWワークもいけるかも!と最初はそんな気持ちで探し始めました。

求人サイトや在宅ワークに特化したサイトを見つけては求人を探す日々。

一昔前は在宅ワークと言えば、仕事を斡旋するといいつつ教材を買わせたり、登録料を支払わせたりとあまり良いイメージはなかったのですが、

時代も変わったんですね…。

ちゃんとした求人があって、様々な職種もあり。

最終的に自分のスキルを活かせそうな架電のお仕事を始めることになりました。

テレアポは経験不足で自信もないのですが、とりあえず少しの期間だけでも給料の足しになればいいし、長くやるつもりもないから割り切って頑張ろう!と決意。

 

普段インバウンド業務を専門でしているので、アウトバウンドの仕事は不慣れですが、どうにかこうにか軌道に乗り始め、アポイントも取得でき、予想以上にお給料はよかったです。

※アポイント取得でインセンティブも付くのですごくよかったです。

 

 次回も在宅のお話!

 

 

 

早速の吐き出し。

昨年末誕生日を迎えた私。
隠したってしょうがないので実年齢を言いますと、42歳。
なかなかのおばさん世代。

大きな病気もしたことがない、結婚もしているし、子供はできなかったけどその分夫婦仲は良好、両親は健在。
子供がいない以外は、とても恵まれた環境だと思います。

今私は在宅ワーカーとして働いています。
昨年8月某日。
仕事中突然、激しいめまい、動悸、息苦しさ、脂汗の症状が現れました。
何の前触れもなく…です。
冗談抜きでこのまま死ぬのではないか…と本当に焦りました。

あまりにひどい症状だったので、仕事を早退しました。
30分程すると症状は改善されたものの、心配だったためその日の午後に内科を受診。
自分の順番が来るまでの間、とにかく不安で、待合室でまたあの症状が襲ってきたら…次こそは本当に死んでしまうのではないか。
そんな気持ちが押し寄せて来てガタガタと震えが止まらず、辛かったのを覚えています。

順番が来て、先生に症状の事を話しました。
まず疑われたのはストレス。そして年齢的なものもあるので初期の更年期障害の可能性。
内科的な要因としては少し血圧が高いという事でした。
その他血液検査・心電図の検査結果は異常なし。
つまり血圧以外に内科的不安要素はないとの見解だったわけです…。
あんなひどい症状が出ていながら、まさかの診断結果にほっとしました。

血圧は気にしなければいけないけど死ぬ病気ではなかったと安心したのですが、
その後もなんやかんやさまざまな症状に悩まされることになるとは、この頃の私は知る由もなかったのです…。